ミニマムでマキシマムなMacBook

2013年頃から使っていたMacBook Airのバッテリーが故障してしまっていて、電源につないでいないと2時間くらいでバッテリーが切れるというモバイルノートにあるまじき状態になってから、はやくRetina版のMacBook Airが出ないものかと心待ちにしていたが、先日のTouch Bar付きのMacBookのラインナップを見て「これはAirはもう出ないな」と決断し、円安のムーブメントに乗るがごとくMacBook Pro 2015 midを購入した。

13インチ MacBook Pro 2.7GHzデュアルコアIntel i5 Retinaディスプレイモデル [整備済製品]¥109,000 (税別)

スペック的にはミニマム。
でもポートはマキシマム。
みんなの大好きなMagSafe2、USB3*2、Thunderbolt2*2、そしてHDMIポートとSDカードスロットまでついてる。
今思うとAppleらしくないてんこ盛りな端子群だが、まだまだディスクドライブのようにお別れを遂げるには少し早すぎる気がする彼らである。

Gmailに移行しました

10年くらいずっとレンタルサーバーのメールサービスを独自ドメインで運用していたんですが、サーバー会社の提供するスパムフィルターを通り抜けて9割方がスパムメールという自体になったため、重い腰を上げて独自ドメインを止めてGmailのメールアドレスをメインで運用するようにしました。
個人メールアドレスは相変わらず独自ドメインなんですが、サービスに登録するのはGmailのアドレスです。
何でもかんでもGoogleにするのは嫌だなあと思ってずっと使ってなかったGmailですが、使ってみるとわりかし便利ですね。
特に今はGmailやInboxでうまいこと振り分けてくれるので、自宅の外でやっかいなプロモーションメールに振り回されることもないですし、意地を張らずにもっと早く使ってもよかったかなあとか思ったり、今まで意地を張り続けていたのが勲章だったりするような、なんだか不思議な気分ですね。

ペルソナ100人飼えるかな?

信じがたいことに優秀なウェブサービス設計者の多くは心の中に100人以上のペルソナを飼っている。

理屈としてはこうだ

リテラシーレベル : 高 中 低
性別 : 男 女
年齢 : 10代〜60代
可処分所得 : 高 低
可処分時間 : 多 少

で、3*2*6*2*2で、最低144パターンくらいのペルソナが、(たとえ自分と全く関係のないサービスでも)ウェブブラウジングをしている最中に、あらゆるUI/UXが適切かどうかについて脳内で評価をしているらしい。
ボタン一つをクリックした瞬間に、女子高生からアラフォーニートまであらゆる人格がそのボタンに対するレビューを行うのだ。

これは羽生善治が1000手を読むのはかなり大変と発言したことに近い常軌を逸した感覚なので、我々凡人がそれをまねするのは非常に困難である。

「そうそう、ネットで話題になっていたアレ見た?」

黎明期のインターネットの話題というのはただ独立した情報の1ブロックとして配信されていた。
ニュースにしても画像にしても猥雑なテキストにしても、情報はソーシャルなつながりを持つことをなく、ただネットワーク上で伝搬されるだけのものであった。

ある程度ネットコミュニティというものが成熟していくにつれて、たとえば2ちゃんねるのニュース速報板などで特定の話題について議論が行われるようになることもあったが、そういった議論はあまりにも雑然としすぎており、議論に参加しない人間がその内容を理解するためにはまとめブログの存在を待たねばならなかった。
その一方で子ニュースサイトや孫ニュースサイトの管理人がニュースに対して少しの補足を行うようなことはあったが、あくまで特定少数の意見であるというスタンスのもと書かれていたそれは読み手にとっては補足以上の何物でもなかった。

だが今はどうだ。
僕たちは毎日ソーシャルメディアを眺めてニュースを得ている。
ソーシャルメディアから得たニュースには、あらゆる人間の意見が書き込まれているし、ソーシャルメディア以外の単純なニュースサイトでも、各ソーシャルメディアのコメントへのアクセスを容易にする仕組みが用意されている。

つまり今は情報を知るということは、同時にその情報に対する人々の反応も同時に知ると言うことだ。
面白い話題に対する「ワロタ」「ウケる」「つまんねー」「アホwww」。
悲しいニュースに対する「泣ける」「こういったニュースに対して我々はもっと真剣に…」「メシウマw」。
情報を得た瞬間に自分で咀嚼する前に他人の意見が大量に流れてくる。
もうこんなにいろいろな人がいろいろなことを語られ尽くしてくるのであれば、僕がこれ以上に考える必要はないんじゃないかと思うほどだ。

オフラインで会話をしているときに何気なく出てくる「そうそう、ネットで話題になっていたアレ見た?」の一言。
僕がそれを見たことがなければ幸いだけど、見たことがあればその情報自身のみではなく、何百何千という人の「いいね」「シェア」「コメント」を見尽くしてしまった僕はもはや自分の言葉でそのニュースを語れない。
いくら語ろうとしても、オンラインで見かけた何百のコメントのいずれかと重複する意見しか出せない。
目の前の彼ももちろん何百ものコメントを斜め読みしているはずなので、僕がこれから口にする言葉は彼にとっての重複情報だ。
インターネット上のあまたの言葉を少しだけ補強するつまらない重複情報だ。

お見合い検索エンジン最適化

僕はお見合いサービスというのを利用したことがないのだけれども、話に聞く限りではどうやらざっくりとした流れとしては
1. お見合いサービスに登録
2. PC上で幾つか自分の好みに合う異性の条件を入力して検索
3. 条件に合う相手にアポイントメントを取りコミュニケーションしてデート
という感じであるらしい。

で、検索大好き人間としては「2」のフローが気になっている。
検索する側としてはどうでもいいのだが、検索される側としてSEOが可能ではないかと考えているのだ。

異性に求める数値(ステータス)というのは、大きなところで言えば、年齢、身長、体重、学歴、職業、そして資産と収入くらいであろうか。
(おそらく本気で相手を探すとなれば、長男か否かとか、親と同居してるかとかそういうややこしいものが山ほど含まれてくるのだろうけど。)

例えば体重なんていうのは一番わかりやすくSEOが可能な項目だ。
痩せすぎていれば太ればいいし、太りすぎていれば痩せて、最も検索結果に含まれやすい数値に調整すればいいわけだ。

そう考えてみると、上にあげた数値(ステータス)の中で、こればかりは本人はどうしようもないだろ、と思える残酷なものが一つある。

身長である。
本人の意思や努力でどうにもならない唯一の要素。
体重とか収入は本人の意思や努力で結構なんとかなる部分があるが、身長だけは本当にどうにもならない。(※個人の見解です)

まあ年齢とかもどうしようもない部分があるかもしれないけれど、誰もが始めは若く、それから老いていくということは共通なわけで、機会の平等という意味で言えば、一番フェアな要素である。
それに比べたら身長は、基本的に子供の頃から老いるまで、大きいやつは大きいままで小さいやつは小さいままなのだ。(※個人の体験に基づいた偏った見解です)

例えば僕は身長が164cmなのだけれども、この状態のままお見合いサービスに登録したらどうなるだろうか。
おそらく検索する側である女性は、男の身長は170cmくらいあってほしいと思うだろうし、多少ゆとりをもたせて165cmをセレクトボックスで選択して検索ボタンを押しても、僕はヒットしないのである。
セレクトボックスが何cm刻みで身長の検索ができるようになってるかは知らないが、人は物を検索するときにはキリのいい数字を選ぶのだ。
170cmの下は165cmだし、その下は160cmだ。
いちいち161cmとかを選択する人は、おそらく検索者が女性であれば「自分の身長(161cm)より背が高ければ」というように例外的に明確な意図を持った人だけだろう。
そういうことを考えていくと、身長164cmの僕というコンテンツがお見合い検索エンジン上でヒットする確率は相当低いのだ。

そしてお見合いサービスの登録から一週間が経過して、僕はPCでサービスにログインしてマイページを開き「自分が検索でヒットした回数」とか「プロフィールが見られた回数」とかを確認して、その数の少なさに僕はショックを受けてスタッフに相談するのだ。
「僕の何が悪いのですか!」と。
そしたらスタッフは言うわけです。
「やはり当サービスの検索履歴のビッグデータを解析してみても身長は165cm以上を基準に検索される女性が多いので… そうですね、ひとまず登録情報の身長の項目を165cmに変更しましょう。大丈夫です、これくらいのサバは誰でもよんでます。私が先日担当した女性も体重を3kg軽めに登録しましたから」

オーノー。

生涯の伴侶を見つけるために、出会う前から嘘をつかなきゃいけないのか。
そして、相手も嘘をついているかもしれないと疑ってかからなきゃいけないのか。

アホくさい。

俺はブラックハットSEOに手を染めるくらいなら、最初から何もやらない。

お見合いなんてクソ食らえだ。

去年、異能vationに送ったやーつ

箸にも棒にもかからなかったやーつ。
っていうか数年前から焼き直してるやーつ。

研究テーマ(50文字以下)*

地図要素の情報リンクによる現実世界の位置情報ゲーム化

実現したい目標 - アンビシャスなテクニカルゴール ー (600文字以下) 80 * 15行
12345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012345678901234567890

ゲームに熱中しすぎて睡眠不足のときに、ゲームと現実の区別があやふやになった経験のある人は少なくないだろう。
具体的に言えばドラゴンクエストをやりつづけていると、現実世界の「教会」がセーブする場所に見えてくる、といったような経験である。
他にもゲームの定番表現としての「宿屋に泊まることでステータスを回復」「酒場で仲間集め」など、ゲーム中でキーポイントとなる場所というものは、案外この現代日本においてもホテルや居酒屋といった形で少し名前を変えつつも存在している。
本研究はそういった現実世界に存在する店舗などの地図要素を、例えば「きずぐすりを買うにはドラッグストアの近くに行かなければならない」など、それ自身が持つ意味をそのままに位置情報ゲームに取り入れ、拡張現実的に現実世界をゲーム化する試みである。
現実世界をゲーム化している代表的な例としてIngressが挙げられるであろうが、それは一見現実世界をゲーム化しているように見えるが、実際には現実世界にあるオブジェクトを単純にポータルという名前で利用しているのみであり、その地図要素自体の意味を持っていない。
この研究は現実世界とゲーム世界を、地図要素自体の持っている意味で完全にリンクすることにより、現在チェックインサービスなどで断続的に行われている現実世界からインターネットへの接続をよりシームレスなものとして実現するものである。

実現への道筋(1000文字以下)

実現のためには大きく二つのものが必要であると考えている。
まず一つ目が地図情報である。
現実世界をベースとしたゲームを制作するにあたって、道路や建物や店舗など代表的なランドマーク情報は必須である。
ただ地図に関する技術というのは非常に価値の高いものであるが、既に多くの企業が開発研究を手がけており、また地図技術の開発が本研究の目的ではないため、地図情報自体は既存のシステムを利用することを考えている。
二つ目はゲームの実装である。
しかしゲームの内容については情報通信技術というよりゲームデザインの話になってしまうため、ここではあまり触れない。
ただ、一つのゲームを全てのユーザーがプレイすると言うよりも、ゲームデザイン自体は誰でも自由に行えて、ユーザーがプレイするゲームを選べるのが理想型であると考えている。
たとえばホームセンターで武器を調達して町中を歩きながらゾンビと戦うゲームでもいいし、RPGのように酒場で仲間を集めて公園や山などの自然区域でモンスターを倒すゲームでもいい。
そこにストーリー性をもたせて、特定の場所に行くことによってイベントが発生するようにして、スタンプラリーのように各地をめぐることによって物語が進むようにしてもいい。
もちろんリファレンスモデルとして一つのゲームを提供する必要はあるが、そのゲーム性は極力シンプルなものであるべきだろう。
この実現に必要な二つのことについては、それぞれ単独では価値の創造はないが、本研究ではその二つの組み合わせによる化学反応的な新しい価値の発生を目的としたい。

いつかは謝らなければいけないことがある

暖かくなってきたのでクリーニング屋にダウンジャケットを預けてきた。
家で洗えない服は基本的に買わない自分にとって、クリーニング屋に行くのは年間通してこの季節だけだ。
そんなこの季節、クリーニング屋に行くたびに思い出すことがある。

もう8年ほど前になるだろうか。

そのとき僕は初めて入った会社の同期と一緒に酒を飲んでいた。
同期の彼はこう言った。
「実家はクリーニング屋を営んでいるのだが、クリーニング屋というのは意外にも国家資格のいる仕事で、うちの親はそれを持っているのだ」と。
無知な僕は「そんなバカな。服を洗うのになぜ国家資格がいる。なぜアイロンをかけるのに国家資格がいる。」と言った。
彼は「いや、それがあるんだよ」と返した。

僕は彼が酔っ払って適当なことを言っていると思って、それ以上は追求しなかった。

ああ、今思っても、自分はバカだった。
無知だった。

そのときの飲み会はそれで終わったが、その無知さに気づくのはそれから4年ほど後である。

なにげなく映していたNHK教育のテレビ番組でクリーニング工場が見えた。
その番組では、クリーニング屋として独り立ちするために、国家資格であるクリーニング師を目指しながらクリーニング工場で働いている青年を特集していた。

「国家資格であるクリーニング師を目指しながらクリーニング工場で働いている青年を特集していた。」

自分はその番組を見たとき、自分の無知を知り、自分の過ちに気づいた。

ああ、本当に自分はクズだ。
人様の家業を、自分の無知故に貶し、理解しようともしなかった。
カスだ。
ゴミだ。
自分の常識の範囲でしか物事を判断できないアホだ。

ああ謝りたい。
知性の乏しさを自覚した自分は彼に謝りたいと思った。

しかしクリーニング業に国家資格が必要であることを知ったのは、自分が過ちを犯したときからは、あまりにも時間が過ぎていた。
僕はもう会社を辞めていたし、やめた後に少し連絡を取っていた彼とも完全に音信不通になっていた。
絶対に謝らなければいけないことだが、いきなりSkypeで「実は4年ほど前に酒の席で君の親の仕事を…」などと切り出したら、かなりの変人である。
もっと自分がさりげなく連絡を取ってさりげなく話を切り出すことができる人間であれば違ったのだろうけど、残念ながら僕はそういう器用さは持ち合わせていなかった。

結局、そのままだ。
彼とは連絡を取っておらず、今までずっと毎年、クリーニング屋に行くたびにこのことを思い出すだけだ。

でも良いのだ。
良くはないが仕方ないのだ。

自分の無知で人を傷つけてしまうのも、
うまい具合に連絡を取ってさりげなく謝ることができないのも、
俺の業なのだ。

俺にできることは、
次こそは、そうやって人を傷つけるようなことを
次からは絶対に言わないようにする
そうすることだけなのだ。

クリーニング屋に行くたびに、自分のどうしようもなさを再確認して、
次こそは同じような過ちを繰り返さないように心がけることだけが、俺にできる唯一のことなのだ。

5年間ソフトサンティアを愛用してきた僕がロートソフトワンに乗り換えたたった一つの理由

容器がしっかりしてる

ソフトサンティアは容器が全体的にヤワくてキャップがクルクルーって感じなんですけど、ロートソフトワンは容器が全体的にカタくてキャップがパキッとしているので持ち運びに向いていて最高。

Kindleのジレンマ

リアル本 → ぜひとも印刷された紙で持っておきたい好きな本
Kindle本 → そこまででもない本

って使い分けようと思ってたんですけど、よく考えてみたらそこまででもない本って古本屋で買うことが多いので、結果的にリアル本ばかり買ってしまっている気がします。
小説の文庫本なんかだと、別に所有感なくてもかまわないし、新品でも古本屋でもKindleでもたいして値段が変わらないのでKindleで買うこともあるのですが…

まあ、ブックオフの100円コーナーを巡るのが趣味みたいな僕には電書化生活というのは無理な話だったのかもしれません。

トコノイタンハの2getが目立ちません

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ネット上に生まれた数ある名コテハンのうち、やはり僕にとって最も身近であるコテハンといえばトコノイタンハだろう。
2000年頃からオンラインとオフラインに彗星のように参上し、その高い身長と甘いマスク、ネットカルチャーと音楽への造詣の深さを見せつつ、異性同性を問わず魅惑し、また後の掲示板界でも「ひたすら2getする」という前衛的なコミュニケーション表現によって、2getがスレ立て主への敬意表現なのか否かという議論を呼びつつ、その議論の結果を待たずにネット界を去ってしまったトコノイタンハである。
活動期間の短さもあり、広く知られた名前ではないが、トコノイタンハ名義での活動を終了した後も2〜3年ごとにネット界の著名人から「そういえばトコノイタンハってどうしてるの?」と話題に上がる辺りが、彼の存在感の強さの証明でもある。

さて、そのトコノイタンハと今日、秋葉原で飲んできた。
彼がLINEで「死にたい」と言ったので、僕が「死ぬ前にアカギみたいに色んな人を集めて対談しましょう」と言い、なぜかわからないが、とりあえず秋葉原に集まろうということになったのだ。

僕はトコノイタンハにおごってもらったビアードパパのシュークリームを食べながら、トコノイタンハにおごってもらった北乃カムイのガラナを飲み、UDXのウッドデッキで、僕たちの今までとこれからについて、少しだけ話をした。
その結果「まあ絶望的ではあるけど、死ぬほどではないな」ということになり、いい加減、日も落ちてきたのでどこかに入ってサッと酒を飲もうと言うことになったわけだ。

秋葉原で飲むと言えばサイゼリヤである。
酒を出す店はいくつかあるのだろうけれども、夜が長い町ではないので、店の選択肢は少ない。
いい大人が二人とはいえ、肩と腰と絶対領域を露出したメイドさんにフラフラとついていくのは、少し怖い。
ここはやはり明朗会計の安心店であるサイゼリヤに行こうではないか、ということで僕たちはサイゼリヤ秋葉原中央口店に向かい、白ワインや赤ワインなどと一緒に軽いつまみなどを飲み食いし「これでも二人で1500円にもならないぞ」などと注文明細を見て高笑いをしてから会計をすませて店を出た。

夜勤明けで丸一日以上起き続けているトコノイタンハは言う、
「おう、15よ、俺はもう帰るぞ。何線で帰る。秋葉原駅かい、末広町かい」
「何線、何線。なにせんで帰りましょうかね。じゃあ”ぜんりつせん”で帰りましょうか」
「ひゃっひゃっひゃ、じゃあ”ぜんりつせん”の何駅だい」
「この辺だと何駅になりますかい」
「そうだな、ここいらでは”せいえき”か」
「ぎゃっきゃっきゃ、いいですね。”ぜんりつせん”の”せいえき”はっしゃ。ぎゃっきゃっきゃ。”せいえきはっしゃ”。」

僕たちは30分でデカンタ2本ほどを空けていたので上機嫌だった。

ひとしきり笑った後、トコノイタンハは「じゃあ俺は帰るぞ。15も帰れ」と言って、銀座線の地下階段に消えていった。

僕は少し飲み足りないような気がして、末広町のサンクスに入ってエビスのロング缶を買った。
一人でガードレースに腰掛けて缶をぷしゅうと空けると、道路標識に車のヘッドライトの明かりが反射して綺麗に輝いているのが見えた。
「あはは、こんなに標識が綺麗なのに。誰も見てない」
あーあ。
僕はバランスを崩してガードレールからゴロリと歩道へ。

あーあ。
雑居ビルの谷間から空は見えるけれども星は一つも見えない。
明るいなあ。
さすが電気街。
なんて思う。

そしたらおまわりさんがやってきたので途端に身を起こして「帰ります、大丈夫です」なんて。

ちゃんと帰るよ、トコノイタンハが「今日のオフレポを書け」って言ったからね。
100回以上サシで会ってるだろうに、今さらオフレポなんて、ね。
はは。

渋谷でソバ食って帰って書きますよ。
はは。