僕は偏執性が少ない。

先ほど花物語を見ていたところ「そういえば『自分語』と書くとまるで西尾維新の一作に見えるな」とひらめいたが、おおよその結果の予測のついた状態でググってみたところ、既に多くの人々が1億6000万秒ほど前に同じようなことを考えていたことがわかった。
世界中の情報が整理されつつある現代では、自分の頭の中から出てきた小さなひらめきの本質は凡庸な思いつきであることが簡単に確認できる。16人がハイライト

それはそれとして僕の話である。

僕は偏執性が少ない。

昔からビデオゲームなどに熱中することはあったが、わりとそれはマイブームの範疇に収まるものであって、数年もしたら飽きてしまうことがほとんどであった。
「ファン」にはなるけれども「マニア」にはならないという程の熱度とでも言うのだろうか。
昔の僕を知っている人はこう言うかもしれない。
「いやいや、マニアなんて生ぬるい言葉ではなくて、信者と言ってもいいくらいにのめり込んでいたね」と。
いやいや、そんなことはない。
その分野にのめり込んでいるように見えていても、その実は風呂に張った湯のように、沸騰の半分以下の温度がゆっくりと熱を失っていく程度の熱中であったのだ。

継続性に着目すれば、唯一思春期頃から今まで続いている趣味は漫画読みくらいなものであろうか。
二十歳以前の漫画読みとしての体験は記憶があやふやで正確な冊数は数えていないが、二十歳の頃から少なくとも一日一冊以上の漫画単行本を読んでいる。
そこから10年経ったとして、単純計算で3650冊くらいはゆうに読んでいる。
漫画を読まない人からすればおそらくなかなかの数字であると思われるが、漫画読みからしたらほどほどの冊数である。
確かに読んだ冊数だけでは漫画読みとしての資質や意欲はわからないかもしれない。
読んだ回数が重要かもしれない。
両津勘吉がバカボンを繰り返し読んだように、僕もこち亀を繰り返し読んだ。
しかしこち亀カルトクイズで高い正解率を誇れるくらい、こち亀の知識があるほど読み込んでいるわけではない。
僕がこち亀を繰り返し読んだのは、米が美味しいから毎日食べるようなものであって、こだわりではなくて日常としてそれを行っていたからというだけである。

他にも漫画読みとしての意欲が足りない話をしよう。
僕は「AKIRA」を読んだことがない。
たぶんこの時点でマニアな漫画読みとしては失格だ。
キャビアを食べたことがないのに食通を気取っているようなものである。

漫画以外の話もしよう。
僕はビールを中心とした酒類が好きだけれども、最近までギネスがドイツのビールだと思っていた。(正しくはアイルランドのビールである)
これだけで十分、僕が酒に対するマニアックなこだわりがないことがわかってもらえたと思う。

結局はそうなのだ。
ファンにはなれてもマニアにはなれないのだ。

そういう意識はゲームや漫画や酒だけではなく、インターネットに対してもそうなのだ。

インターネットに対しても、僕は偏執性が少ない。

インターネット人口が少なかった昔は、僕はまだ若くてインターネットに触れたばかりで、ネット人口の少ない現実世界の中では相対的に上位のインターネット好きであった。
渋谷のスクランブル交差点を歩けば「いま横断歩道を渡っている中で一番インターネットが好きなのが、俺だ」と思っていた。
しかし今は違う。
せいぜい上位30%に入るくらいだ。

昔はネットメディアが取り上げるニュースが古くさくて仕方ないと思っていた。
メディアがまるで速報であるかのように出した記事に「それは2日前に流行った話題だわ」と思っていた。
それがどうしたことか。
今では私がおじいさん。ネットメディアの記事でネットの流行を知っています。
孫に見せるのはもちろんITmedia。
なぜならインターネットが僕にとって特別な存在ではなくなってしまったからです。

僕は偏執性が少ない。」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です