僕は今、ウェブサイトを作ったりして生計を立てたりしているわけだけど、そんな今の生活があるのは誰のおかげ(というか、誰のせい)かと聞かれれば、迷うことなく飯野賢治の名前を挙げるだろう。
飯野賢治を知ったのはいつごろだろうか。
確か「じゅげむ」というゲーム雑誌で、エネミーゼロの紹介がされていて、そのヴィジュアルの美しさに衝撃を受けたのがきっかけだ。
なんでファミ通ではなくそんなマイナーな雑誌を読んでいたかと言えば、たぶん表紙がアイドルだったのでオトナっぽい雰囲気で格好良かったのと、後ろの方にエッチなゲームの特集があったからだったと思う。(当時はまだファミ通の表紙が変な犬みたいなキャラだった。そしてじゅげむのエッチなゲームコーナーは確かLeafの雫だか痕の紹介のある号だった)
で、「エネミーゼロすげえ綺麗!」と思った僕は、速攻でゲーム屋に走り、エネミーゼロを購入して、ファイティングバイパーズのために買ったサターンに挿入してプレイしたのだ。
ちなみにゲーム自体は、難しくてクリアできなかったが、そんなことは大して問題ではない。
映画好きの友人は「何だか、エイリアンとプレデターを足して二で割ったような設定だね」と言っていたが、そんなことも大して問題ではない。
僕が「こんな映画みたいなゲームを作れる人ってどんな人なんだろう?」と、作り手に興味を持ってしまったことが重要なのである。
んで、そういう純粋な中学生らしい疑問の元、エネミーゼロを作っている人を特定すべく、ゲーム雑誌などを立ち読みしまくった結果、どうやらゲーム業界の風雲児と呼ばれている飯野賢治という人が作っているらしいと言うことがわかった。
とにかくこの飯野賢治という人はとんでもない人であった。
どのくらいとんでもないかと言えば「ソニーが販売に関する約束を守ってくれなかったから」という理由で、プレステのイベントで「サターンに移ります」と発表してしまうような人なのである。
当時中学生だった僕でさえも「それはちょっとやばいんじゃないの…」と思うようなことをやってのける大人で、僕はそこに痺れた上に憧れてしまったのである。
それからというもの、飯野賢治が自伝を出していることを知ったら、すぐさま図書館に走り、何十回も読み返す。(本当に30回くらいは読み返した)
飯野賢治がビートルズとYMOが好きだと言えば、CDを借りてきて聞いたし、デカルトがいいと言えば、方法序説を10ページくらいだけ読んだし、高校を中退していることを知ったら「俺もぜひとも高校に入ったら中退しよう!」と決意したりした。
今考えると恥ずかしくて仕方ないが、太宰に憧れて「入水自殺しよう!」と思うよりかは、まだいくらかは健全だったかも知れない。
で、そうやって作り手に興味を持って憧れているうちに、だんだんと自分でもゲームが作りたくなってくる。
そうなると、自然と将来の夢は、ゲームクリエーターになる。
しかし、いきなりゲームクリエーターになれるわけでもない、何年か下積みが必要だ。
それは中学生の僕にもわかっていた。
プログラマーで下積みというのもあるが、中学生だった僕にはプログラムというのがよくわからず「やっぱCGクリエーターとして何年かやっていったあとに自分のゲームを作ろう!」と考えたりした。
絵も描けないのに、CGクリエーターもなにもないもんだ。
計画的なのか無計画なのかよくわからない。
そして、その後、絵も描けない(その上描かない)のにCGクリエーターになったあとゲームクリエーターになると言う夢は、大学の1年くらいまで続いた。
しかし、大学で絵心や色彩感が全くないことに気づき、CGクリエーターの夢は消えてしまった。(3DCG使ってムービーとかは作ったけど)
そして、ふと気がつくと、自分はゲームをやらなくなっていたし、回りでもほとんど誰もゲームをやらなくなっていた。
プレステやサターンやロクヨンが争っていた戦国時代は終わってしまっていて、「ゲームなんて、今さらだな…」という感じになってしまっていた。
そこで「今さら」なゲームに代わって現れたのがインターネットである。(実際は高校生の頃からインターネットを使っていて、中学の時からの友人とメールマガジンを作ろうというような話はあったのだけれども、なんだかんだ言っているうちに消えてしまった。)
「これからはインターネットの時代だ!」と強く思ったわけでもなく、「なんか面白いかも知れないし、つまんないかも知れないけど、ゲームよりかはインターネットかな」というあいまいな気持ちを持ったまま、僕のサイト制作は始まるわけである。
# 最近インターネットで知った、飯野賢治と岡本吉起とその他のゲームクリエーターのディスカッション
岡本「ゲームが好きだからって、ゲームは作れないよ~ん。はっきり言ってココにいる4人、全員ゲームなんて好きじゃありませんよ」
飯野「俺は好きだよ」
岡本「あぁ、だからお前だけは二流なんだよ」
これを見て、「やっぱり飯野さんはカッコいいなあ!中学校の頃の自分は間違ってなかった!」と思ってしまった。
彼もゲーム業界に復帰するらしいし、300万本RPGとか霧のオルゴールが出てきてくれるんじゃないかと、ものすごい期待している。
飯野賢治 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB
eno blog
http://blog.neoteny.com/eno/
■追記
いちおう、書いたことは僕の記憶だとかを元にしていて、正確じゃない部分がけっこうあるかと思います。
あとは最後のゲーム業界復帰の話、これインターネットのどこかのサイトでみただけなので、信憑性はそんなに高くないです。
でも。噂に左右されまくるのがファンの醍醐味だと思うのです : )
「僕と飯野賢治」への7件の返信
いつか四人で会社を作ったら面白そうだな
憧れは人を成長させる…と思います。
出会いがあること、それ自体が幸せなことだと思います。
ありがとう。
一応、本人。(-:
ー飯野
ぎゃあああ、本当ですか!
こんなところを見てもらえるなんて!
本当ですよ。
照明は、今日、いまから書くblogでどうでしょう。
Lilianfelsホテルのこと書きます。
いま、1:01だから
最新書き込みがそれ以降だったら本人てことで。(-:
(エントリ単独で見ると、postの時間が見れますよ)
eno blog: 絶景と花の山ホテル
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2007_08_post_268.html
おおおおお!
ブログやってて良かった!感動です。
そんな、そんな。
ちょっと嬉しかったのでした。
こんな出会いも面白いね。
ー飯野