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使ってない古いケータイというのはモロゾフのプリンカップや峠の釜めしの釜と並んで、今後使う機会があるかわからないけど一応とっておこう。と思わせるもののトップクラスだが、そんな使ってない古いケータイを先日、処分した。
処分したケータイはau、docomo、softbank、willcomの計10台。
オールスター勢揃いだ。
そもそも以前、一度処分しようと思ったことがあったのだが、そのときは各端末のキャリアに持ち込んで処分してもらわなければいけないと誤解していたのと、auの販売店で回収したケータイを横流ししていたというニュースを見たため、なんだかいろいろ面倒になってやめてしまったのだ。
そしてそれから1年ちょっとが経ち。
昨年末にスマートフォンに乗り換えたし、ガラケーたちを処分するタイミングは今しかない!
ということで再び使ってないケータイの処分について調べてみることにしたのだ。
1.どこでもキャリア関係なく回収してくれる
au, docomo, softbank, willcomは「モバイル・リサイクル・ネットワーク」という自主活動組織に属していて、どこのキャリアの端末でも回収するようになっているそうです。
2. みんなケータイパンチャーを備えてる
4キャリアともにケータイパンチャー(ケータイに穴を開ける機械)を店頭で備えているようです。
データ保存部分自体を破壊してくれる訳ではないようなのですが、単純な横流しを防ぐという意味では大きいでしょう。
特に電源が入らなくて何のデータが入っているのか確認さえできない端末とかではありがたいサービスです。
(ただ基本的にはデータは削除(端末リセット)してから持ち込んだ方がよいでしょう)
3.電池や充電器も回収してくれる
完全なトータルサポートです。
おお、すばらしい。
これならどこのショップに持ち込んでも完璧な回収がされるではないか。
ここで普通なら、一番契約期間も長く今現在もメインで使っているauに持ち込むところですが、auは上に書いた事件がやはり気になる。
こういう時に迷ったらやっぱりドコモかなー。というわけで、近所のドコモショップに持ち込みに行ってみました。
入り口でオネーサンに「ケータイの回収お願いしたいんですけど、他のキャリアでもイイスか?」と確認をとって整理券を受け取り、そして番号が呼ばれたらカウンターに行って、端末と充電器とバッテリーの入ったレジ袋を渡す。
破棄前にショップがシリアルナンバーなどを控える必要があるので、台数が多いのもあって15分くらいかかると言われ、置いてあったMONOQLOを読んで待つ。
シリアルナンバーの控えが終わったら、お待ちかねのケータイパンチャーである。
スタッフのオネーサンに「申し訳ないんですが、当店ではケータイに穴を開けるところまで確認していただくことになっているんですよ…」といわれる。
「いえ!むしろそれが楽しみで来ました!」と言ったら意外そうな顔をされた。
話を聞いてみると、長年連れ添ったケータイに穴を開けるというのは、愛着を持っていた人にとってはつらいものなので見たくないという人も多いそうで、毎回こんな風に言うようだ。
まあ一般的にはそうなんだろうが、僕は(というか大抵の男はそうだと思うんだけど)分解とか破壊にものすごく心を惹かれるので、是非ともそういうのは見てみたいのである。
家とかビルの解体を見かけると何故か心が躍るのである。
と、女性のスタッフに力説しても全く通じなさそうなので、何も言わずに僕はぼんやりとパンチャーが設置されるのを眺めていた。
「ケータイに愛着を持っている人が多いのなら、そのうちケータイを供養して処分するサービスとか出てきそうだな。いや既にありそうだな」なんてことを考えながら。
パンチャーにケータイがセットされ、ケータイが壊される。
ドライバーのような金属の釘が、ぐさり、ぐさりとケータイに刺さっていく。
やはりケータイというのはハードな使用にも耐えられるように頑丈に作られているのか、女性スタッフは両手でめいっぱいの力を入れて、一つずつケータイに穴を開けていく。
一つのケータイに開けられる穴は4つくらいのようだ。
聞いてみると「電源キー、決定キー、5キー、SDカード読み取り部分」に穴を開ける決まりになっているそうだ。(うろ覚えなので正確ではないかもしれない)
それで基板が確実完全に壊れるという保証にはならないらしいが、たいてい場合その辺りに穴を開けると基盤の中心部を破壊できるということらしい。
スマートフォンの扱いについて聞いてみたら、液晶部分は液晶漏れとかがあるから手を出せず、下部のボタン部分のみを破壊するんだとか。
僕は物理キーがないタイプのスマートフォンを使っているので、そういう場合はどうするのか気になったけれども、他キャリアの端末についていろいろと聞くのは失礼な気がしたので止めた。
そして、素知らぬふりをして混入させておいたイーモバイル(契約キャリアはsoftbank)のデータ端末も、
「こちら、ボタンがないので特に破壊しないで回収しますね」
ということで無事に回収された。
そうしてすべての手続きが終了したので、回収した端末のシリアルナンバーの控えの用紙をもらって僕はショップを出た。
ドコモスタッフの対応は終始非常に良くて「やっぱりドコモだよなあ」と思いながら、auの端末で時間を確認した。
10台の端末の処分は30分ほどですんだようだった。
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僕は今、ウェブサイトを作ったりして生計を立てたりしているわけだけど、そんな今の生活があるのは誰のおかげ(というか、誰のせい)かと聞かれれば、迷うことなく飯野賢治の名前を挙げるだろう。
飯野賢治を知ったのはいつごろだろうか。
確か「じゅげむ」というゲーム雑誌で、エネミーゼロの紹介がされていて、そのヴィジュアルの美しさに衝撃を受けたのがきっかけだ。
なんでファミ通ではなくそんなマイナーな雑誌を読んでいたかと言えば、たぶん表紙がアイドルだったのでオトナっぽい雰囲気で格好良かったのと、後ろの方にエッチなゲームの特集があったからだったと思う。(当時はまだファミ通の表紙が変な犬みたいなキャラだった。そしてじゅげむのエッチなゲームコーナーは確かLeafの雫だか痕の紹介のある号だった)
で、「エネミーゼロすげえ綺麗!」と思った僕は、速攻でゲーム屋に走り、エネミーゼロを購入して、ファイティングバイパーズのために買ったサターンに挿入してプレイしたのだ。
ちなみにゲーム自体は、難しくてクリアできなかったが、そんなことは大して問題ではない。
映画好きの友人は「何だか、エイリアンとプレデターを足して二で割ったような設定だね」と言っていたが、そんなことも大して問題ではない。
僕が「こんな映画みたいなゲームを作れる人ってどんな人なんだろう?」と、作り手に興味を持ってしまったことが重要なのである。
んで、そういう純粋な中学生らしい疑問の元、エネミーゼロを作っている人を特定すべく、ゲーム雑誌などを立ち読みしまくった結果、どうやらゲーム業界の風雲児と呼ばれている飯野賢治という人が作っているらしいと言うことがわかった。
とにかくこの飯野賢治という人はとんでもない人であった。
どのくらいとんでもないかと言えば「ソニーが販売に関する約束を守ってくれなかったから」という理由で、プレステのイベントで「サターンに移ります」と発表してしまうような人なのである。
当時中学生だった僕でさえも「それはちょっとやばいんじゃないの…」と思うようなことをやってのける大人で、僕はそこに痺れた上に憧れてしまったのである。
それからというもの、飯野賢治が自伝を出していることを知ったら、すぐさま図書館に走り、何十回も読み返す。(本当に30回くらいは読み返した)
飯野賢治がビートルズとYMOが好きだと言えば、CDを借りてきて聞いたし、デカルトがいいと言えば、方法序説を10ページくらいだけ読んだし、高校を中退していることを知ったら「俺もぜひとも高校に入ったら中退しよう!」と決意したりした。
今考えると恥ずかしくて仕方ないが、太宰に憧れて「入水自殺しよう!」と思うよりかは、まだいくらかは健全だったかも知れない。
で、そうやって作り手に興味を持って憧れているうちに、だんだんと自分でもゲームが作りたくなってくる。
そうなると、自然と将来の夢は、ゲームクリエーターになる。
しかし、いきなりゲームクリエーターになれるわけでもない、何年か下積みが必要だ。
それは中学生の僕にもわかっていた。
プログラマーで下積みというのもあるが、中学生だった僕にはプログラムというのがよくわからず「やっぱCGクリエーターとして何年かやっていったあとに自分のゲームを作ろう!」と考えたりした。
絵も描けないのに、CGクリエーターもなにもないもんだ。
計画的なのか無計画なのかよくわからない。
そして、その後、絵も描けない(その上描かない)のにCGクリエーターになったあとゲームクリエーターになると言う夢は、大学の1年くらいまで続いた。
しかし、大学で絵心や色彩感が全くないことに気づき、CGクリエーターの夢は消えてしまった。(3DCG使ってムービーとかは作ったけど)
そして、ふと気がつくと、自分はゲームをやらなくなっていたし、回りでもほとんど誰もゲームをやらなくなっていた。
プレステやサターンやロクヨンが争っていた戦国時代は終わってしまっていて、「ゲームなんて、今さらだな…」という感じになってしまっていた。
そこで「今さら」なゲームに代わって現れたのがインターネットである。(実際は高校生の頃からインターネットを使っていて、中学の時からの友人とメールマガジンを作ろうというような話はあったのだけれども、なんだかんだ言っているうちに消えてしまった。)
「これからはインターネットの時代だ!」と強く思ったわけでもなく、「なんか面白いかも知れないし、つまんないかも知れないけど、ゲームよりかはインターネットかな」というあいまいな気持ちを持ったまま、僕のサイト制作は始まるわけである。
# 最近インターネットで知った、飯野賢治と岡本吉起とその他のゲームクリエーターのディスカッション
岡本「ゲームが好きだからって、ゲームは作れないよ~ん。はっきり言ってココにいる4人、全員ゲームなんて好きじゃありませんよ」
飯野「俺は好きだよ」
岡本「あぁ、だからお前だけは二流なんだよ」
これを見て、「やっぱり飯野さんはカッコいいなあ!中学校の頃の自分は間違ってなかった!」と思ってしまった。
彼もゲーム業界に復帰するらしいし、300万本RPGとか霧のオルゴールが出てきてくれるんじゃないかと、ものすごい期待している。
飯野賢治 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB
eno blog
http://blog.neoteny.com/eno/
■追記
いちおう、書いたことは僕の記憶だとかを元にしていて、正確じゃない部分がけっこうあるかと思います。
あとは最後のゲーム業界復帰の話、これインターネットのどこかのサイトでみただけなので、信憑性はそんなに高くないです。
でも。噂に左右されまくるのがファンの醍醐味だと思うのです : )